2018年8月 9日 (木)

東京のインフラめぐり・B面も魅力

Dsc_0950 ビートルズのシングルレコード、陽気な曲「イエローサブマリン」のB面は哀切的名曲「エリノアリグビー」です。
私は、A面よりも(芸術性の高い)裏面ばかり聞いていました。
         さて、ジール新企画のクルーズA面は、表題のとおり、具体的にいうと、建築ラッシュの有明・晴海(それに、なにかと話題の豊洲)エリアです。
    しかし、A面だけのクルーズなら、他社でも出来ることです。
ジールの凄いところは、A面に裏街道を加えた強気です。「こんなコースが売れるのか」と尻込みするようなB面に価値を見いだしています。
      話題は、インフラとは外れますが、先例を明治文学に求めます。
国木田独歩の出世作「武蔵野」は、後続の文学者に強烈な影響を与えました。(文体も革新的ですが)    独歩以前(藤原定家については、またの機会にブログを書きます)日本人の美の対象は「白砂青松」や「花鳥風月」でした。
       独歩「武蔵野」は、新たに「雑木林」の美を追加したのです。
雑木林そのものは、江戸時代に出現していますが、独歩は、それが美しいということを(ツルゲーネフ文学への傾倒により)日本人で初めて発見したのです。
  話を本題に戻します。
  「東京のインフラめぐり」コースでは、いままでかえりみられなかった東雲運河も航行します。
私にとって、このルートは宝の山です。   
     例えば、通過する月島に関わる著名人のリストは70人を数えます。(過去の話ですが、私の出演したガルシア・ロルカ「愛と死」に評価を頂いた三島由紀夫。コロンブス500年航海のときバハマで出迎えてくれた土井全二郎)それだけでも語り尽くせない魅力あるコースです。   
      極論からいうと、B面のないシングル盤は存在しないように、ジールの「インフラめぐり」はコースとして完結しています。ひとえに企画営業のセンスのたまものです。
画像は、運河船に晴海客船ターミナルと前方に建設中の選手村です。
byーO

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2018年7月10日 (火)

構造物の進化と保存

2018051110430001 帆船は、1本マストの小型船(北方では方形の横帆・南方では三角形の縦帆のタイプ)から進化してきました。
船が大型化するに伴い、マストの本数が増え、高さも伸びていきました。
そして南と北の帆の形(ラティンとコグ)が組合されてくるのです。
コロンブスのサンタマリア号は、前3本のマストに4枚の横帆を、後ろのマストにラティンを持ったナオ型という進化途中の姿をしていました。

帆船は進化を続け、マストとマストの間にも三角帆を着けることが可能になりました。

ついに19世紀、すべてのマストに横帆と縦帆を備えた「全装帆船」が出現します。
英語では、これをフルリグドシップと言います。
シップという言葉は、今日では船全般の意味で使われています。
英国グリニッジに永久保存されている有名な帆船「カティーサーク」がこのシップ型で、船名はウイスキーの名前にもなっています。
シップ型へと帆船の進化が到達したころ、ヨーロッパで産業革命が始まります。やがて汽船が誕生すると、帆船は海の主役の座を譲ることになるのです。
ここで重要なことが二つあります。ひとつは、それでも(産業革命以降)今日に至るまで「帆船」は亡びていません。
もうひとつは、もっと早く産業革命が興っていたら、帆船の進化は途中で止まり、フルリグドと呼ばれる型式の頂点には達していなかった、というタイミングの問題です。
進化が完成したからこそ、究極的に美しく、それ故に生き延びていく帆船。
画像は、天王洲アイルから見える保存帆船「雲鷹丸」。越中島にも(海の日の由来にもなっている)保存帆船「明治丸」があります。   
運が良ければ、クルーズ中に「日本丸」・「海洋丸」と出会えることもあります。
「人間が作ったあらゆる構造物の中でもっとも美しいもの、それは帆船である」
by(10隻の帆船と関わってきた)ーO

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2018年6月27日 (水)

忍者は近くにいた

20180624172400002014年の冬、私は(最寄り駅、JR信濃町)鮫ケ橋付近で行われている埋蔵文化財発掘現場にいました。
画像は出土品の一部です。(大名屋敷跡だと高級品も出てきますが)
いかにも庶民的な物です。
ここには、どんな人たちが住んでいたのでしょうか。
ところで先日「徳川幕府と伊賀者たち」という講演会に行きました。
講師は、三重大学地域サテライト国際忍者研究センターの高尾善希先生です。
新発見された史料「松下家文書」を調査したところ、忍者末裔たちの(現代のサラリーマンと共通するような)江戸での暮らしぶりがわかってきた、という大変おもしろい内容でした。
彼らがもっとも望むポジションは、なんと江戸城大奥の出納係なのだそうです。
講演会の後半、あっと驚く言葉が出てきました。
なんと伊賀者たちが住んでいた場所、それが鮫ケ橋だったのです。
講演会終了後、先生の控え室を訪れました。
タブレットに入っていた鮫ケ橋発掘現場の画像を見ていただき、いろいろ話し込んでいるうちに、ホールの係の人が来て「もう閉めたいんですけど」ということでお開きになってしましました。
ちなみに、私は今、府中市の調査現場で奈良・平安時代の住居跡の発掘をやっています。
ここには、どんな人たちが住んでいたのでしょうか。
byーO

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2018年6月12日 (火)

華やかにジールフェスティバル

2018061010220000
今年は、創業25周年ということもあって、かなり盛大な催しとなりました。
陸上イベントのほうも、例年以上の数のブースが桟橋に並び(雨にも負けず)にぎやかでした。
そのひとつライヴステージに出演する歌手の北島彩夏さんがジーフリートにも乗船されて「桜の眠り」・「素直になりたい」などファーストアルバムの数曲を披露してくれました。       
ジールフェスティバルは年々、楽しさが増えていくようです。
byーO

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2018年6月 7日 (木)

帆船乗りの遺産

しかし、帆船の世界では「結び」以外にも「繋ぎ」・「打ち」・「差し」・「織り」などの技巧が(過去形になってしまいますが)伝承されていました。
特に「編み」のジャンルで、技術的に複雑・高度な物は、工芸品と呼んでもおかしくないでしょう。
     画像は(60点合格というレベルで済みません)私の作った装飾用の錨です。
船乗りにとって、ロープワークは必須科目=基本中の基本の技術です。
マニュアルでは解らない要素が多く、やはり口伝でしか残せない技術です。
       私の世代が次に継承していかないと、伝統も途切れてしまいます。
もったいない。
       byーO

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2018年5月26日 (土)

六月の桜

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島崎藤村と並ぶ明治の文学者・国木田独歩の代表作「武蔵野」の第6章に(私の地元でもある)ヤマザクラの名勝・玉川上水の桜橋を訪れたシーンがあります。
季節は真夏。立ち寄った茶店の婆さんに「桜は春咲くことを知らないのか」といわれてしまいます。   
独歩は、夏の郊外の散策がいかにおもしろいか、と説明するのですが「東京の人はのんきだ」の一言でおしまいにされます。
        ところで、6月上旬(お花見クルーズと同じコース)目黒川クルーズが実施されます。乗船されるお客様を酔狂だと思う人は、6月のサクラの魅力を知らない人と言ってもいいでしょう。
わたし個人の話になりますが、しばらく府中市内の発掘現場に通っています。 その途中にサクラの並木が続いています。その緑を見ながらの通勤は楽しいものです。おまけに3頭のヤギが放し飼いにされていて、(画像)まるで田園風景そのものです。
   
サクラの花はとっくに終わりました。しかし、サクラにとって1年の中でも6月が最高の充実期です。目黒川の感動的な緑を堪能してください。
byーO

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2018年5月10日 (木)

ロシアにおける日本年2018関連行事に参加して

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皆様、ゴールデンウィークをどのように過ごされましたか。
私は、ロシアのハバロフスクで植林をしてきました。
植えたのは、朝鮮五葉松です。
私たちのグループの中に、農学・理工の教授、野鳥や建築の専門家が居られ、私に対して、ありとあらゆる知識を惜しみなく提供してくださいました。
例えば、北限の桜(シウリザクラ)や日本から渡って来た鳥類(ユリカモメ・オオバン)などをフィールドワークで学べたことは、運河クルーズの解説員にとって(ネット検索とは桁違いの)大きな収穫でした。
ロシアという国は、人も自然も料理も、すべてがすばらしいところでした。
byーO

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2018年5月 1日 (火)

ジールだけが知っている

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地面を這いずる動物の苦手な人には恐いと思われるかも知れませんが、意外と私たちの身近な場所にも爬虫類は生活しています。
青大将など都会でも珍しくはありません。(画像。なかには花見しているやつもいます)
しかし、某運河沿いの巨大なイグアナの存在を知っている人はさすがにいないようです。私も3回みたことがありますがすごくでかいです。
ほとんど動かないので、行けば必ず遭遇できます。
見たいですか。
ミステリークルーズでお連れします。
byーO

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2018年4月26日 (木)

美しき海の慣例

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ジーフリートのアッパーデッキに飾られた2つのアルファベット信号旗、右側がU・左側がWです。
まもなく、このデッキにおいて船上挙式=キャプテンセレモニーがおこなわれます。
飾られた2字信号UWの本来の意味は(長途の航海へと旅立つ船にたいして、見送る側の船舶や港湾施設が一斉に掲揚する)「貴船の航海の安全をお祈りいたします」という挨拶です。
ジールでは、これからの人生を共に歩んでいく新郎新婦お二人への「はなむけ」として旗旒UWをデッキ上に披露しています。
ちなみに、実際に出港していく側の船は、UW1という3連旗をマストに掲げ「ありがとうございます。皆様もご安全に」と返信します。
その他、関連の信号旗として、UW2は「私たちの港へ、ようこそ」あるいは、UW3が「長い航海お疲れさまでした。母港へお帰りなさい」などの気持ちを無言でも(たとえば国籍の違う船同士であっても、視覚だけで)表現しています。
これらの旗が港に翻るシーンには、いつも心を打たれます。
それでは皆様、私からは(すでにモールス信号は廃止されていますが)トトツー・トツーツー・トツーツーツーツー、ごきげんよう。
byー挙式船長O

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2018年4月17日 (火)

花は散っても

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平成30年度の目黒川お花見クルーズも大盛況のうちに幕を閉じました。
ご乗船のお客様ありがとうございました。
ジールスタッフの皆さんお疲れ様でした。
そして、主役であるサクラたち、また来年もよろしくお願いいたします。   
私は(例年のように)シーズン終盤数日の解説を担当しました。
すでにソメイヨシノは葉桜になっていることを承知でご乗船された(すべての便の)お客様から「とても楽しかった」と言ってもらったことは、目黒川の八重桜とジールスタッフにとって金メダルをいただいたような心境です。      
    それに加えて、クルーズ最終日、私は(解説員にとっては宝物といえる)ソメイヨシノの実生の苗を発見しました。 
    ソメイヨシノのサクランボの発芽は極めて稀なことです。私は、スコップと鉢の替わりに(すみません、ちゃんと洗っておきました)ジーフリートのトングとピッチャーを使って貴重な苗を採集しました。       帰りの満員電車では、それを抱き抱えるようにして守り、苗を家に連れて帰りました。個人的な話ですが、その苗は(大切に育てていたウサギのラッキー君に次ぐ)私の分身となりました。 サクラは、他の種類のサクラの花粉をもらわないと実がなりません。いったい、この苗からどんな花が咲くのか。      
私にとって、来年度の目黒川お花見クルーズの準備は、すでに始まりました。
byーO

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2018年4月 7日 (土)

近い将来、日本のサクラの景観が確実に変わります

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日本花の会は、平成17年度からソメイヨシノの配布を中止。21年後から、苗木の販売も中止されます。        理由は、伝染性の「てんぐ巣病」拡大を予防するためです。
てんぐ巣病とは、花が咲かなくなる病気で、ソメイヨシノは(クローンであるために)集団感染の傾向が強い、と指摘されています。
日本花の会が、ソメイヨシノの代替品種として推奨しているのは、開花時期も近く、容姿も類似している、画像の「ジンダイアケボノ」という品種です。私のよく訪れる神代植物園で誕生しています。       
それはさておき、ソメイヨシノ最強のセンターという価値観よりも、日本のサクラのさまざまな姿に感動する、という楽しみかたを教えてくれたのは、最近の外国人観光客だと思います。
目黒川のお花見クルーズ・セカンドステージ「サクラ再発見の旅」私がご案内します。
byーO

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2018年4月 1日 (日)

お花見教室・上級編の予告

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例年よりも早く咲きだしたソメイヨシノは、4月を前にして花びらが舞い始めました。
さて今回の画像は、国際信号旗アルファベットのPです。
P旗は「パパ」と呼称され(一字信号の)意味は「本船、間もなく出帆する」です。
船乗りは、自分の意志を簡潔に表現します。
私もその伝統に倣いP旗を掲げました。
すなわち目黒川のソメイヨシノの次に控える第二ステージに向け、解説員の私も暖気運転に入りました。
ソメイヨシノが散ってしまうと「春も終わってしまった」としょんぼりするひともいますが、これからの目黒川には多様なサクラの世界が待っています。
講座も数回にわけてその魅力を伝えていく予定です。
ちなみにP旗を私たちは少し気取って「ブルーピーター」と言っています。
旗は上がりました。
皆さま出港用意をどうぞ。
byーO

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2018年3月23日 (金)

お花見教室・中級講座

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唐突ですが、ジーフリートのクルーズに「寿司職人」というオプションもあります。
親しい職人さんにうかがったところ、最近では(私の大好きな)マグロのトロよりも、タコやサーモンが人気といいます。
ところで、サクラの世界はいかがでしょうか。私がバイトをしていた新宿御苑の人気ランキングをみると、前回講座の絶対王者ソメイヨシノは第9位に甘んじています。
なんと、喜ばしいことに、御苑ではソメイヨシノよりランキング上位の(8種のうち)6種が目黒川にあるのです。
ソメイヨシノがあまりにもポピュラーなためでしょうか、御苑のランキング・ベストファイブは、すべて一重桜ソメイヨシノとはタイプの違う「八重桜」です。(シダレザクラ系統がそれに続いています)
話題にくわえて、目黒川クルーズのコース上には、御苑ベストファイブの他にも、魅力ある6種類の八重桜が(運河船から見える場所に)追加されます。 
今回の中級講座では、川沿いの八重桜について語っていきます。最初に注意が必要なのは、八重桜と呼ばれるサクラはありません。ボリュームある花をつけるグループを一括して八重桜と言ってはいますが、厳密には、花弁の数により、半八重桜・八重桜・菊桜に分類する定義があります。
   なお、一本の木でも、花弁の数の違う花が咲く種類も少なくありません。  便宜上、総称して「八重桜」という表現を使いますが、個々のネーミングは、妖艶を競います。例えば、楊貴妃・白雪・嵐山など、色っぽいです。
さて画像は、弥生時代の染色を再現した(九州・吉野ヶ里遺跡の)展示です。強烈ではない色彩にも感動できるのが私たちのDNAでしょうか。
    目黒川クルーズでは、弱い緑の「御衣黄」・薄いレモン色の「ウコン」・品のある赤紫色の「関山」など…微妙な色彩のうつろいを運河船の席に座ったまま(まるで空飛ぶ絨毯のような贅沢な乗り心地で)堪能できます。
しかも、八重桜の見頃は、ソメイヨシノの終わった次のステージになります。
つまり、ジールのお花見クルーズは、シーズン2回を乗らないと、目黒川のサクラの美の全貌を極めることはできないのです。(まことに営業的な講座になり、すみません)
次回、上級講座、ご期待ください。
byーO

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2018年3月19日 (月)

お花見教室・初級講座

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例年よりも早く、東京のソメイヨシノが開花しました。
ちょうど見頃となる3月23日から目黒川お花見クルーズがスタートします。
さて、一般的なお花見とは、集団が ・飲酒を伴い・対象はサクラ、しかもソメイヨシノ以外に選択肢はない、という信念のもとに実施されています。つまり、子どもたちがチューリップの花のまわりで、天使のようにはしゃいでいる光景は(相手が花であるにもかかわらず)前記の定義に当てはまらないため「お花見」とは認定してもらえないのです。子どもたちが怒るかも知れませんが、大人の自負するお花見は、通常はじまってから30分も経過すると、主役である花の存在は忘れられ、ただ単に酔っ払いの集団と化していく傾向にあります。だったら、最初からサクラはなくてもお花見は成立するのでは、という推論が生まれます。
私は(私にも初級時代はありました) はからずも、この論法を実証しました。 民間帆船の教官時代に、訓練生OB・OGとお花見を企画しました。私が選んだ横浜山下公園に40名ほど集まりましたが、信じられないことに、どこを見渡しても桜の木はありませんでした。それでも宴会は盛り上がりました。「ソメイヨシノは、飲み会の口実である」その程度のレベルでも初級は合格です。
        この講座は今後、中級編(八重桜)・上級編(自生種のサクラ)へと続きます。
その前に、師範級とはどんな世界なのかを披露しておきます。                修行を積んでいくと、四季折々の花鳥風月に美を見いだせるようになり、いつでも「お花見」のできる境地に達します。            
画像は、家の庭のサルスベリです。
雪のように淡い花は、別名で「夏桜」とも呼ばれています。
七月・八月、私はベランダで「夏の花見」を堪能しています。ここ数年、鳩が巣を作るようになり、雛の成長を見るのも楽しみです。
皆様、まずは目黒川お花見クルーズに乗船され多様性に溢れた桜の世界をご覧ください。きっと心が豊かになるはずです。       
byーO

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2018年3月14日 (水)

ヒマラヤザクラは咲いていたのに

春、公園で遊んでいる子どもたちを見ていると、赤や黄色のチューリップには歓声をあげるのですが、サクラの花には感動していないように思えるのです。
去年、都内の植物園で、サクラの満開の日というのに、セコイアの林のなかで、園児たちがとても楽しそうにお弁当を食べていました。(あっちで、サクラがきれいに咲いているんだけど、と私は狼狽したのです)
さて、私自身をふりかえると、19歳の時点では、サクラに興味はなかったと(最近になって)確認しました。
お花見クルーズの解説員となった今から考えると、とても勿体ない話です。
大学1年のときに、インド・ネパールを単独行しました。仏教寺院にお世話になりながらのバッグパッカーです。(日本を出た動機は、宗教的に崇高なものではなく)1970年大阪万博のインド館で出会ったコンパニオンの追っかけという不純なものでした。すみません。
しかし私は、インド半島(東から西への陸路)横断の途中から、再会したいという煩悩を捨ててルートを変更、エベレストを見るために北上を始めました。
目的地は、カトマンズ郊外(写メ)カカニの丘です。そこに、お花見クルーズで解説ネタとしているヒマラヤザクラが咲いていたはずです。せっかく、あそこまで行きながら、当時の私は、ヒマラヤザクラを認識してこなかったのです。
私がサクラの花を見るようになるのは、大学を中退し、海とかかわるようになってからでした。21歳のとき、広島県江田島の海自第一術科学校というところに居ました。そこで、10時消灯後の誰もいない校庭のソメイヨシノを独占するという贅沢を覚えました。
以後、花見とは、一人で静かに楽しむのが生涯のパターンになったのです。
(続く)
byーO

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