2018年11月20日 (火)

妄想のクリスマスツリー

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私は(八丈島での地質調査から)世田谷区内の埋蔵文化財発掘調査に復帰しました。
現場の間近に、もみの木の代役になりそうなヒマラヤ杉の大木があります。
その隣にたくさん実をつけた渋柿の木があります。
ツリーのデコレーションに、柿の実をぶら下げておいたら、自動的の干し柿になるのでは。
by-O

 

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2018年11月10日 (土)

八丈島取材記

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何故か、八丈島のジャングルの中で、地質調査をしています。
  車の行ける場所からボーリング調査の現場まで、ジェットコースター並みの急降下・急上昇の3人乗りモノレールを操縦するはめになりました。これだけの体験でも「東京モノレール」=京浜運河解説の参考になります。   
  他にも、関ヶ原合戦の敗者=宇喜多秀家の流刑地・オオシマザクラの自生地・玉石垣の景観など、神田川クルーズや目黒川クルーズのネタが一杯ころがっています。

離島生活もまんざらではありません。

byーO

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2018年11月 3日 (土)

幻の忠臣蔵クルーズ

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毎年12月が近づくと話題に上がるのが忠臣蔵です。なぜ日本人は、赤穂事件のことをいつまでも忘れないのでしょうか。 
 江戸時代「仮名手本忠臣蔵」という娯楽作品のため、本来は被害者である(作品上の名前は高師直)=吉良上野介はまったくの悪者にされます。明治時代、天皇の一言で赤穂浪士は英雄となります。
けれど、昭和の戦時になると、日本の軍部は、義士の物語が(天皇への忠義ではなく)赤穂藩主への忠義であったという理由で公演を制限します。
戦後になると、今度はGHQが「仇討ち」をテーマとした作品は占領政策に好ましくないという判断から上演・上映を禁じるのです。
 以上ともかく江戸から昭和にかけて、共通してうかがえるのは「吉良邸への浪士討ち入」を義挙と考えるDNAが浪士ファンの心の中に存在するからだと思います。 
 かたや、忠臣蔵を日本史上「雪の3大テロ」 の一つという評価もあります。忠臣蔵とは、いったいなんだったのか、今年はクルーズという視点から考察できる特別な年です。
 築地市場の移転により、初めて見えてくる忠臣蔵時代の情景。そして亡くなった葉室麟さんの文庫本の一行がキーワードです。
これ以上のネタ披露は、ジールの企業秘密です。 
ヒント:吉良左兵衛近習山吉新八と赤穂の四七人目の浪士寺坂吉右衛門との接点です。

 

byーO

 

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2018年10月25日 (木)

家康と正宗とスペイン

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 フラメンコ舞踊に用いられるショールは「マントン・デ・マニラ」と呼ばれています。
そのいわれは16世紀のフィリピンにさかのぼります。 
  1565年、ウルダネータによってフィリピンとメキシコふたつのスペイン領を結ぶ直
行航路が発見されます。
このルートを経由して中国製の高級な絹ショールもスペイン本国に輸入されます。
これが後のフラメンコの「マントン・デ・マニラ」へとつながっていきます。 
  それでは、本題に入ります。「ウルダネータの航路」にのっとりフィリピンを出発した
帆船は、針路を北東にとり、北緯38度まで北上します。
そこから船首を東に向け、太平洋横断に移ります。 
実は(風のベルトに乗る)その針路変更ポイントが仙台の沖合いになるのです。
「北緯38度」ここに伊達正宗は着目します。当時、江戸の人口は15万人。
徳川家康は南蛮貿易を希望していましたが、スペインにとってメリットのない江戸湾は素
通り、ひたすら「北緯38度」へと向かっていきます。 
  家康と正宗の思惑が絡み合い、やがてサンファンバウティスタ号による遣欧使節が実現
します。  
しかし貿易の条件としてキリスト教の布教を迫るスペインに対して、家康は断交を決意。
正宗もその方針に服従します。 
地政学上(軍事力には圧倒的な差はありましたが)幕府は仙台藩を警戒していました。
徳川家に反意の無いことをアピールするため、伊達家は外濠工事に全力を尽くします。
 今日そのおかげで、神田川クルーズ船から美しい「お茶の水渓谷」の景観を楽しむこと
ができます。
そろそろ紅葉のシーズンが始まります。
byーO

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2018年10月17日 (水)

続々ミステリアス航海記

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まず、宣教師について。
1612年(将軍秀忠の時代)キリシタン禁止令が出されます。
しかしその後にも、大御所家康は、仙台藩の支倉常長使節団の遣欧を許し、伊達正宗が宣教師の派遣を要請していたことを黙認しています。
カトリック国と断交するのは、家光の時代(スペインとは1624年・ポルトガルとは1639年)になってからのことです。
 かたや「熊野年代記」によると1722年(吉宗の時代)にも補陀落渡海があったと記されています。
しかし、江戸時代の渡海には半強制的なものもあったようです。 
 宣教師の記録として、紹介するとなると(江戸時代以前の)ルイス・フロイスの書簡が上質です。
1564年12月28日、京へ上る途中のフロイスは、伊予の堀江の港に着き、数日前に渡海がおこなわれたことを聞いた、とあります。
この渡海は(観音浄土ではなく)西方の「阿弥陀浄土」を目指していました。 
 さて、私たちは(西方ではなく)東方への航海を続行しました。
六日目、O島(つまり東京都)に到達しました。
ここはオオシマザクラの古里でもあり、赤穂浪士の遺児たちが流刑された場所でもあります。
そしてついに七日目、茨城県N川のハーバーに入港。回航は終了しました。 
 ここで上陸してからが実に「ミステリアス」でした。なんと常磐線のM駅でジール「インフラツーリズム」売り物のひとつ=謎のイグアナクレーンの秘密が暴かれたのです。 
 クルーズ解説員の誰に聞いても見たことはないという「レール運搬車」がこんな所に存在したのです。 
 羽田から飛行機で奄美大島に渡り、そこから1週間の苦難の航海の末やっとたどり着いた茨城県で目にした車体に書かれた文字、それは予想だにしなかった「越中島」
 byーO

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2018年10月10日 (水)

『続ミステリアス航海記』

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 ふつうの観光旅行と違って、回航は(小型船の国内回航は、夜は走りません)明るいうちに進めるだけ進み、目的地に一日でも早く到達しようと心がけます。
逆にいうと、悪天候で距離を稼げなければ、航海日数は増えていきます。
 今回、正面から体当たりしてくる波に悩まされ(四国M岬M港には二日間も足留め)五日目ようやく紀伊半島にたどり着きました。
その日はそこまでで、先に進むことを断念。昼、和歌山県K港に逃げ込みました。
 上陸して驚いたのは(画像)停泊しているマグロ漁船の妙に色っぽい煙突でした。
銭湯に行ったら本物の温泉に感激。
夜は、久しぶりに(船ではパンばかり)まともな食事をしました。港への帰り道、店名に引かれて「南紀書房」という本屋に入りました。
理数系ではなく文系船乗りの私は、けっきょく閉店時間まで店長と話し込んでしまいました。
 航海は想像どおりにいきません。ミステリアスです。だからこそ、思いもよらずK港に入れたのはラッキーでした。
南紀といえば、江戸時代の外国人宣教師も目撃し、本国にレポートを送った「補陀落渡海」のおこなわれた世界です。(足摺岬・室戸岬などにも記録があります) 同じ島国でありながら、イギリスは水平線の向こうに富を求めていました。
しかし、日本人の憧れていたものは観音浄土でした。
 補陀落渡海とは、現世の終焉を約されていると同時に宗教的な生をも亦約束されている=入水行です。
 では次回、続々ミステリアス航海記をお楽しみに。
 ところで、神田川クルーズの日本橋で(日没以降、しかも船からでしか見られませんが)けったいな行動をする鳩の集団が目撃されています。
何故そのようなミステリアスな現象が起きるのか、まったく謎です。
一度それをご覧になってください。奇怪ですが笑えます。
byーO

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2018年9月26日 (水)

新旧の時空をまたぐインフラツーリズム

Dsc_0951 10月11日、いよいよ豊洲市場がオープンします。
周辺では、選手村や各種目競技場の建設がエネルギッシュに進められています。
高層マンションも、これでもかと言わんばかりに林立を続けます。
   いま東京のウォーターフロントは、徳川家康の江戸建設を彷彿させる物凄い勢いで肥大成長に走っています。
    ジールでは、誕生する新市場や現在進行形の建設現場を目撃する(発着は豊洲ぐるり公園)秋の新コースを販売します。
     小回りのきく運河船の特性を活かし(いま注目のエリアばかりでなく)越中島イグアナクレーンなど世間に知られざる秘境にもお連れします。
2018051111320000        画像は辰巳沖の旧貯木場の跡ですが、これなど見方を変えれば東京では珍しい「産業遺産」として評価できます。そして背景には雄大なゲイトブリッジが控えます。 
平成としては最後の秋。
記憶に残るクルーズになることでしょう。
byー解説員O

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2018年9月13日 (木)

ミステリー航海記

2018091014590000 皆さま、ご無沙汰してすみません。
解説員Oです。 私は、いま漁船に乗っています。
といっても、魚を獲るためではありません。
回航(船そのものを運ぶ仕事)です。
  初日、羽田空港から、画家「田中一村」ゆかりの南国A島へ。最終バスで小一時間。
N港に到着。離島の塩ラーメンは絶品でした。
翌早朝、出港。私は、ウェットテッシュ。船長は焼酎を買いたいので「縄文杉」で有名なY島に30分だけ寄港。
そこで(神田川クルーズでは見られない石垣の形式)野面積みを発見しました。(画像)
  それから、対面に見える、鉄砲伝来の歴史とロケット打ち上げ場のあるT島へ。今夜は、ここに停泊します。まずは、本物の温泉を堪能してから、居酒屋で晩酌。小粒のホタテ貝バター焼き、大盛り600円は素晴らしい。
    航海の二日目、九州東岸を北上。道中でカツオドリ数羽と出会いました。向かいの波うねりに難儀しながら四国へと舵を切りました。続く。
   さて、ジールでは、私のように難儀しなくても東京の運河を探険するミステリー気分を味わえる「豊洲ぐるり公園発着の新コース インフラめぐりクルーズ」というコースをご用意しました。「えっ、東京にこんな怪獣が」きっと唖然とするでしょう。
悪天候の高知県より、
byーO

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2018年8月27日 (月)

スタート地点を変えたら、別な世界も見える

2018 隅田川の新大橋と両国橋の間の右岸に日本橋浜町の船着き場があります。
このマイナーな船着き場を出発して、いま話題の新市場の至近にある「豊洲ぐるり公園桟橋」到着という(定番の神田川クルーズと旬なインフラめぐりを折衷した)変則的コースが実施されるかもしれません。
そうなると(観光のボリュームというよりも)カテゴリーが広がります。
      例えば。乗船する日本橋浜町にスポットを当ててみましょう。
      明治3年、日本橋浜町の品川県庁前に(約700人といわれる)武蔵野12ケ村の百姓が集結しました。(県庁の門を突破すれば、反乱とみなされます)
       江戸時代とは比較にならない過酷な穀物の供出命令に異を唱えるデモ隊に対し、明治新政府は、軍隊を出動させ、砲撃も加え、弾圧しました。
       捕らえられた指導者(関前新田の名主・忠左衛門ら)牢死。これが世にいう「御門訴事件」の結末です。   
この(現在の武蔵野市・西東京市・小金井市・国分寺市・小平市・東久留米市に存在した新田)12ケ村の門訴に、吉祥寺村は参加していません。
吉祥寺村がどのように成立したか、その経緯を知れば納得できることです。(ここからは、神田川クルーズの範疇になります)
    明歴の大火後(現在のJR水道橋駅付近にあった)吉祥寺の門前の住民たちが、移り住んだのが、吉祥寺村のルーツです。誤りではありませんが、彼らが自力で新天地を求めて(お寺は、駒込に再建されています)神田川を遡り、水源である井の頭へたどり着いた、と唱える人もいます。
      しかし、その論だと(やぶ蛇になって申し訳ありませんが)吉祥寺村が何故に「御門訴」に加わらなかったか、説明できないのでは。
    まして井の頭池は、後に幕府の御林になる場所です。
    江戸時代、数十世帯の百姓が集団で神田川岸を移動というのは、あり得ない、と思うのですが。
何らかの幕府の援助・指導を受け、五日市街道ルートを取ったと考えるのが真っ当でしょう。
ジール営業企画が新コースを考える毎に、解説員仲間同士の論争が勃発します。極めて健全な姿勢だと思います。    
byーO

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2018年8月 9日 (木)

東京のインフラめぐり・B面も魅力

Dsc_0950 ビートルズのシングルレコード、陽気な曲「イエローサブマリン」のB面は哀切的名曲「エリノアリグビー」です。
私は、A面よりも(芸術性の高い)裏面ばかり聞いていました。
         さて、ジール新企画のクルーズA面は、表題のとおり、具体的にいうと、建築ラッシュの有明・晴海(それに、なにかと話題の豊洲)エリアです。
    しかし、A面だけのクルーズなら、他社でも出来ることです。
ジールの凄いところは、A面に裏街道を加えた強気です。「こんなコースが売れるのか」と尻込みするようなB面に価値を見いだしています。
      話題は、インフラとは外れますが、先例を明治文学に求めます。
国木田独歩の出世作「武蔵野」は、後続の文学者に強烈な影響を与えました。(文体も革新的ですが)    独歩以前(藤原定家については、またの機会にブログを書きます)日本人の美の対象は「白砂青松」や「花鳥風月」でした。
       独歩「武蔵野」は、新たに「雑木林」の美を追加したのです。
雑木林そのものは、江戸時代に出現していますが、独歩は、それが美しいということを(ツルゲーネフ文学への傾倒により)日本人で初めて発見したのです。
  話を本題に戻します。
  「東京のインフラめぐり」コースでは、いままでかえりみられなかった東雲運河も航行します。
私にとって、このルートは宝の山です。   
     例えば、通過する月島に関わる著名人のリストは70人を数えます。(過去の話ですが、私の出演したガルシア・ロルカ「愛と死」に評価を頂いた三島由紀夫。コロンブス500年航海のときバハマで出迎えてくれた土井全二郎)それだけでも語り尽くせない魅力あるコースです。   
      極論からいうと、B面のないシングル盤は存在しないように、ジールの「インフラめぐり」はコースとして完結しています。ひとえに企画営業のセンスのたまものです。
画像は、運河船に晴海客船ターミナルと前方に建設中の選手村です。
byーO

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2018年7月10日 (火)

構造物の進化と保存

2018051110430001 帆船は、1本マストの小型船(北方では方形の横帆・南方では三角形の縦帆のタイプ)から進化してきました。
船が大型化するに伴い、マストの本数が増え、高さも伸びていきました。
そして南と北の帆の形(ラティンとコグ)が組合されてくるのです。
コロンブスのサンタマリア号は、前3本のマストに4枚の横帆を、後ろのマストにラティンを持ったナオ型という進化途中の姿をしていました。

帆船は進化を続け、マストとマストの間にも三角帆を着けることが可能になりました。

ついに19世紀、すべてのマストに横帆と縦帆を備えた「全装帆船」が出現します。
英語では、これをフルリグドシップと言います。
シップという言葉は、今日では船全般の意味で使われています。
英国グリニッジに永久保存されている有名な帆船「カティーサーク」がこのシップ型で、船名はウイスキーの名前にもなっています。
シップ型へと帆船の進化が到達したころ、ヨーロッパで産業革命が始まります。やがて汽船が誕生すると、帆船は海の主役の座を譲ることになるのです。
ここで重要なことが二つあります。ひとつは、それでも(産業革命以降)今日に至るまで「帆船」は亡びていません。
もうひとつは、もっと早く産業革命が興っていたら、帆船の進化は途中で止まり、フルリグドと呼ばれる型式の頂点には達していなかった、というタイミングの問題です。
進化が完成したからこそ、究極的に美しく、それ故に生き延びていく帆船。
画像は、天王洲アイルから見える保存帆船「雲鷹丸」。越中島にも(海の日の由来にもなっている)保存帆船「明治丸」があります。   
運が良ければ、クルーズ中に「日本丸」・「海洋丸」と出会えることもあります。
「人間が作ったあらゆる構造物の中でもっとも美しいもの、それは帆船である」
by(10隻の帆船と関わってきた)ーO

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2018年6月27日 (水)

忍者は近くにいた

20180624172400002014年の冬、私は(最寄り駅、JR信濃町)鮫ケ橋付近で行われている埋蔵文化財発掘現場にいました。
画像は出土品の一部です。(大名屋敷跡だと高級品も出てきますが)
いかにも庶民的な物です。
ここには、どんな人たちが住んでいたのでしょうか。
ところで先日「徳川幕府と伊賀者たち」という講演会に行きました。
講師は、三重大学地域サテライト国際忍者研究センターの高尾善希先生です。
新発見された史料「松下家文書」を調査したところ、忍者末裔たちの(現代のサラリーマンと共通するような)江戸での暮らしぶりがわかってきた、という大変おもしろい内容でした。
彼らがもっとも望むポジションは、なんと江戸城大奥の出納係なのだそうです。
講演会の後半、あっと驚く言葉が出てきました。
なんと伊賀者たちが住んでいた場所、それが鮫ケ橋だったのです。
講演会終了後、先生の控え室を訪れました。
タブレットに入っていた鮫ケ橋発掘現場の画像を見ていただき、いろいろ話し込んでいるうちに、ホールの係の人が来て「もう閉めたいんですけど」ということでお開きになってしましました。
ちなみに、私は今、府中市の調査現場で奈良・平安時代の住居跡の発掘をやっています。
ここには、どんな人たちが住んでいたのでしょうか。
byーO

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2018年6月12日 (火)

華やかにジールフェスティバル

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今年は、創業25周年ということもあって、かなり盛大な催しとなりました。
陸上イベントのほうも、例年以上の数のブースが桟橋に並び(雨にも負けず)にぎやかでした。
そのひとつライヴステージに出演する歌手の北島彩夏さんがジーフリートにも乗船されて「桜の眠り」・「素直になりたい」などファーストアルバムの数曲を披露してくれました。       
ジールフェスティバルは年々、楽しさが増えていくようです。
byーO

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2018年6月 7日 (木)

帆船乗りの遺産

しかし、帆船の世界では「結び」以外にも「繋ぎ」・「打ち」・「差し」・「織り」などの技巧が(過去形になってしまいますが)伝承されていました。
特に「編み」のジャンルで、技術的に複雑・高度な物は、工芸品と呼んでもおかしくないでしょう。
     画像は(60点合格というレベルで済みません)私の作った装飾用の錨です。
船乗りにとって、ロープワークは必須科目=基本中の基本の技術です。
マニュアルでは解らない要素が多く、やはり口伝でしか残せない技術です。
       私の世代が次に継承していかないと、伝統も途切れてしまいます。
もったいない。
       byーO

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2018年5月26日 (土)

六月の桜

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島崎藤村と並ぶ明治の文学者・国木田独歩の代表作「武蔵野」の第6章に(私の地元でもある)ヤマザクラの名勝・玉川上水の桜橋を訪れたシーンがあります。
季節は真夏。立ち寄った茶店の婆さんに「桜は春咲くことを知らないのか」といわれてしまいます。   
独歩は、夏の郊外の散策がいかにおもしろいか、と説明するのですが「東京の人はのんきだ」の一言でおしまいにされます。
        ところで、6月上旬(お花見クルーズと同じコース)目黒川クルーズが実施されます。乗船されるお客様を酔狂だと思う人は、6月のサクラの魅力を知らない人と言ってもいいでしょう。
わたし個人の話になりますが、しばらく府中市内の発掘現場に通っています。 その途中にサクラの並木が続いています。その緑を見ながらの通勤は楽しいものです。おまけに3頭のヤギが放し飼いにされていて、(画像)まるで田園風景そのものです。
   
サクラの花はとっくに終わりました。しかし、サクラにとって1年の中でも6月が最高の充実期です。目黒川の感動的な緑を堪能してください。
byーO

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