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2018年3月23日 (金)

お花見教室・中級講座

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唐突ですが、ジーフリートのクルーズに「寿司職人」というオプションもあります。
親しい職人さんにうかがったところ、最近では(私の大好きな)マグロのトロよりも、タコやサーモンが人気といいます。
ところで、サクラの世界はいかがでしょうか。私がバイトをしていた新宿御苑の人気ランキングをみると、前回講座の絶対王者ソメイヨシノは第9位に甘んじています。
なんと、喜ばしいことに、御苑ではソメイヨシノよりランキング上位の(8種のうち)6種が目黒川にあるのです。
ソメイヨシノがあまりにもポピュラーなためでしょうか、御苑のランキング・ベストファイブは、すべて一重桜ソメイヨシノとはタイプの違う「八重桜」です。(シダレザクラ系統がそれに続いています)
話題にくわえて、目黒川クルーズのコース上には、御苑ベストファイブの他にも、魅力ある6種類の八重桜が(運河船から見える場所に)追加されます。 
今回の中級講座では、川沿いの八重桜について語っていきます。最初に注意が必要なのは、八重桜と呼ばれるサクラはありません。ボリュームある花をつけるグループを一括して八重桜と言ってはいますが、厳密には、花弁の数により、半八重桜・八重桜・菊桜に分類する定義があります。
   なお、一本の木でも、花弁の数の違う花が咲く種類も少なくありません。  便宜上、総称して「八重桜」という表現を使いますが、個々のネーミングは、妖艶を競います。例えば、楊貴妃・白雪・嵐山など、色っぽいです。
さて画像は、弥生時代の染色を再現した(九州・吉野ヶ里遺跡の)展示です。強烈ではない色彩にも感動できるのが私たちのDNAでしょうか。
    目黒川クルーズでは、弱い緑の「御衣黄」・薄いレモン色の「ウコン」・品のある赤紫色の「関山」など…微妙な色彩のうつろいを運河船の席に座ったまま(まるで空飛ぶ絨毯のような贅沢な乗り心地で)堪能できます。
しかも、八重桜の見頃は、ソメイヨシノの終わった次のステージになります。
つまり、ジールのお花見クルーズは、シーズン2回を乗らないと、目黒川のサクラの美の全貌を極めることはできないのです。(まことに営業的な講座になり、すみません)
次回、上級講座、ご期待ください。
byーO

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2018年3月19日 (月)

お花見教室・初級講座

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例年よりも早く、東京のソメイヨシノが開花しました。
ちょうど見頃となる3月23日から目黒川お花見クルーズがスタートします。
さて、一般的なお花見とは、集団が ・飲酒を伴い・対象はサクラ、しかもソメイヨシノ以外に選択肢はない、という信念のもとに実施されています。つまり、子どもたちがチューリップの花のまわりで、天使のようにはしゃいでいる光景は(相手が花であるにもかかわらず)前記の定義に当てはまらないため「お花見」とは認定してもらえないのです。子どもたちが怒るかも知れませんが、大人の自負するお花見は、通常はじまってから30分も経過すると、主役である花の存在は忘れられ、ただ単に酔っ払いの集団と化していく傾向にあります。だったら、最初からサクラはなくてもお花見は成立するのでは、という推論が生まれます。
私は(私にも初級時代はありました) はからずも、この論法を実証しました。 民間帆船の教官時代に、訓練生OB・OGとお花見を企画しました。私が選んだ横浜山下公園に40名ほど集まりましたが、信じられないことに、どこを見渡しても桜の木はありませんでした。それでも宴会は盛り上がりました。「ソメイヨシノは、飲み会の口実である」その程度のレベルでも初級は合格です。
        この講座は今後、中級編(八重桜)・上級編(自生種のサクラ)へと続きます。
その前に、師範級とはどんな世界なのかを披露しておきます。                修行を積んでいくと、四季折々の花鳥風月に美を見いだせるようになり、いつでも「お花見」のできる境地に達します。            
画像は、家の庭のサルスベリです。
雪のように淡い花は、別名で「夏桜」とも呼ばれています。
七月・八月、私はベランダで「夏の花見」を堪能しています。ここ数年、鳩が巣を作るようになり、雛の成長を見るのも楽しみです。
皆様、まずは目黒川お花見クルーズに乗船され多様性に溢れた桜の世界をご覧ください。きっと心が豊かになるはずです。       
byーO

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2018年3月14日 (水)

ヒマラヤザクラは咲いていたのに

春、公園で遊んでいる子どもたちを見ていると、赤や黄色のチューリップには歓声をあげるのですが、サクラの花には感動していないように思えるのです。
去年、都内の植物園で、サクラの満開の日というのに、セコイアの林のなかで、園児たちがとても楽しそうにお弁当を食べていました。(あっちで、サクラがきれいに咲いているんだけど、と私は狼狽したのです)
さて、私自身をふりかえると、19歳の時点では、サクラに興味はなかったと(最近になって)確認しました。
お花見クルーズの解説員となった今から考えると、とても勿体ない話です。
大学1年のときに、インド・ネパールを単独行しました。仏教寺院にお世話になりながらのバッグパッカーです。(日本を出た動機は、宗教的に崇高なものではなく)1970年大阪万博のインド館で出会ったコンパニオンの追っかけという不純なものでした。すみません。
しかし私は、インド半島(東から西への陸路)横断の途中から、再会したいという煩悩を捨ててルートを変更、エベレストを見るために北上を始めました。
目的地は、カトマンズ郊外(写メ)カカニの丘です。そこに、お花見クルーズで解説ネタとしているヒマラヤザクラが咲いていたはずです。せっかく、あそこまで行きながら、当時の私は、ヒマラヤザクラを認識してこなかったのです。
私がサクラの花を見るようになるのは、大学を中退し、海とかかわるようになってからでした。21歳のとき、広島県江田島の海自第一術科学校というところに居ました。そこで、10時消灯後の誰もいない校庭のソメイヨシノを独占するという贅沢を覚えました。
以後、花見とは、一人で静かに楽しむのが生涯のパターンになったのです。
(続く)
byーO

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2018年3月11日 (日)

午後2時46分、鐘の音は水面に響く

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後に「東京スカイツリー」と命名される電波塔の建設予定地が、墨田区内の北十間川沿いに決定されたことは、ジールにとって、幸いでした。               
もし、他の立候補地が選択されていたら実現不可能だった運河船によるツリーの見学クルーズを(高さが東京タワーの半分にも満たない) 工事中の段階から始めました。
やがてツリーは広州タワーの挑戦を超え、2011年3月には、あと一歩でギネスに登録されるまで成長していました。
11日もクルーズを実施しました。終了後、隅田川の上に広がる曇り空がねじ曲がっているように見えたことを今でも鮮明に覚えています。それが天変地異の前兆だとは知る故もありませんでした。しかし、2時46分、強い地震が起こり、巨大な津波が東日本を襲いました。
 
あれから今日で7年がたちます。地震発生時刻、ヤマツピアのニフティ船上でシップスベルが鳴らされました。毎年繰り返してきたこの行為を、ジールはいつまで続けるのでしょうか?何のために鐘は鳴らされるのでしょうか?ただ、叩かずにはいられない、その訳を明確には答えられませんが、ヒントはスカイツリーに求められそうです。
 
7年前、東京では営業自粛という言葉がはびこりました。テレビからコマーシャルも消えました。そんな風潮の中、震災の1週間後、スカイツリーは634メートルの高さに達したのでした。その瞬間から、スカイツリーは世界一の電波塔というよりも、復興への努力を訴える象徴となり(関東大震災や東京大空襲なども含めた)慰霊塔としての役割を担ったように思われました。「東京の経済を停滞させたら被災地を救うことはできない」
ジールは4月よりクルーズを再開しました。
結果、多少なりとも被災地の応援につながったことは事実です。
 
さて、今夜スカイツリーは「明花」と名付けられた色鮮やかなライトアップがなされます。
ニフティから水面を渡っていく鐘の音も年々と明るくなっていくことを信じましょう。希望という波紋が被災地に届きますように。
ジール一同。
画像は2011.3.10十間橋付近のゼンフリート船上より撮影

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2018年3月 8日 (木)

目黒川の水源

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まもなく、目黒川お花見クルーズが始まります。
クルーズ解説員の私にとって、あまたライバルは存在しますが、ひとつ自慢をさせてください。
目黒川水源の近くで、埋蔵文化財の発掘調査と、ボーリングによる地質調査の、両方を経験したガイドの方は、まずいないと思います。
画像は、目黒川水源の弁天池です。なぜ、こんな平坦な場所から水が湧くのか、周辺を掘った者にしか実感できないと、自負します。
目黒川、都会の川でありまながら武蔵野の風情を感じます。
byーO

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2018年3月 7日 (水)

明日に向かって

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友人から国内回航に誘われました。
北海道の稚内発・福島県の小名浜着、所要は3日間の予定といいます。配置は航海士です。
どちらかというと、南シナ海が得意の私にとって、出港初日の日本海の強烈な吹雪はストレスでした。
 
画像は船体に打ち込む波は、ツララと化していきました。
 
二日目、津軽海峡の横断は、降雪に蒸気も加わり、視界は最悪。レーダー頼りの航法を続けました。やっと太平洋側に出て、三陸沖を南下。北上してくる商船を避けていくだけなら操船も楽なのですが、リアス式海岸の複数の港から(レーダー画面上に)漁船らしきグループが出港してきます。こちらが針路を変更し、集団をよけなければなりません。その手間を煩わしいとは思いません。
3・11の後、7年近くにして被災地の漁業は(限定的に)再開されたのです。
私はエールとともに舵を大きく右にきりました。
byーO

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