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2018年8月27日 (月)

スタート地点を変えたら、別な世界も見える

2018 隅田川の新大橋と両国橋の間の右岸に日本橋浜町の船着き場があります。
このマイナーな船着き場を出発して、いま話題の新市場の至近にある「豊洲ぐるり公園桟橋」到着という(定番の神田川クルーズと旬なインフラめぐりを折衷した)変則的コースが実施されるかもしれません。
そうなると(観光のボリュームというよりも)カテゴリーが広がります。
      例えば。乗船する日本橋浜町にスポットを当ててみましょう。
      明治3年、日本橋浜町の品川県庁前に(約700人といわれる)武蔵野12ケ村の百姓が集結しました。(県庁の門を突破すれば、反乱とみなされます)
       江戸時代とは比較にならない過酷な穀物の供出命令に異を唱えるデモ隊に対し、明治新政府は、軍隊を出動させ、砲撃も加え、弾圧しました。
       捕らえられた指導者(関前新田の名主・忠左衛門ら)牢死。これが世にいう「御門訴事件」の結末です。   
この(現在の武蔵野市・西東京市・小金井市・国分寺市・小平市・東久留米市に存在した新田)12ケ村の門訴に、吉祥寺村は参加していません。
吉祥寺村がどのように成立したか、その経緯を知れば納得できることです。(ここからは、神田川クルーズの範疇になります)
    明歴の大火後(現在のJR水道橋駅付近にあった)吉祥寺の門前の住民たちが、移り住んだのが、吉祥寺村のルーツです。誤りではありませんが、彼らが自力で新天地を求めて(お寺は、駒込に再建されています)神田川を遡り、水源である井の頭へたどり着いた、と唱える人もいます。
      しかし、その論だと(やぶ蛇になって申し訳ありませんが)吉祥寺村が何故に「御門訴」に加わらなかったか、説明できないのでは。
    まして井の頭池は、後に幕府の御林になる場所です。
    江戸時代、数十世帯の百姓が集団で神田川岸を移動というのは、あり得ない、と思うのですが。
何らかの幕府の援助・指導を受け、五日市街道ルートを取ったと考えるのが真っ当でしょう。
ジール営業企画が新コースを考える毎に、解説員仲間同士の論争が勃発します。極めて健全な姿勢だと思います。    
byーO

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