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2018年10月25日 (木)

家康と正宗とスペイン

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 フラメンコ舞踊に用いられるショールは「マントン・デ・マニラ」と呼ばれています。
そのいわれは16世紀のフィリピンにさかのぼります。 
  1565年、ウルダネータによってフィリピンとメキシコふたつのスペイン領を結ぶ直
行航路が発見されます。
このルートを経由して中国製の高級な絹ショールもスペイン本国に輸入されます。
これが後のフラメンコの「マントン・デ・マニラ」へとつながっていきます。 
  それでは、本題に入ります。「ウルダネータの航路」にのっとりフィリピンを出発した
帆船は、針路を北東にとり、北緯38度まで北上します。
そこから船首を東に向け、太平洋横断に移ります。 
実は(風のベルトに乗る)その針路変更ポイントが仙台の沖合いになるのです。
「北緯38度」ここに伊達正宗は着目します。当時、江戸の人口は15万人。
徳川家康は南蛮貿易を希望していましたが、スペインにとってメリットのない江戸湾は素
通り、ひたすら「北緯38度」へと向かっていきます。 
  家康と正宗の思惑が絡み合い、やがてサンファンバウティスタ号による遣欧使節が実現
します。  
しかし貿易の条件としてキリスト教の布教を迫るスペインに対して、家康は断交を決意。
正宗もその方針に服従します。 
地政学上(軍事力には圧倒的な差はありましたが)幕府は仙台藩を警戒していました。
徳川家に反意の無いことをアピールするため、伊達家は外濠工事に全力を尽くします。
 今日そのおかげで、神田川クルーズ船から美しい「お茶の水渓谷」の景観を楽しむこと
ができます。
そろそろ紅葉のシーズンが始まります。
byーO

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2018年10月17日 (水)

続々ミステリアス航海記

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まず、宣教師について。
1612年(将軍秀忠の時代)キリシタン禁止令が出されます。
しかしその後にも、大御所家康は、仙台藩の支倉常長使節団の遣欧を許し、伊達正宗が宣教師の派遣を要請していたことを黙認しています。
カトリック国と断交するのは、家光の時代(スペインとは1624年・ポルトガルとは1639年)になってからのことです。
 かたや「熊野年代記」によると1722年(吉宗の時代)にも補陀落渡海があったと記されています。
しかし、江戸時代の渡海には半強制的なものもあったようです。 
 宣教師の記録として、紹介するとなると(江戸時代以前の)ルイス・フロイスの書簡が上質です。
1564年12月28日、京へ上る途中のフロイスは、伊予の堀江の港に着き、数日前に渡海がおこなわれたことを聞いた、とあります。
この渡海は(観音浄土ではなく)西方の「阿弥陀浄土」を目指していました。 
 さて、私たちは(西方ではなく)東方への航海を続行しました。
六日目、O島(つまり東京都)に到達しました。
ここはオオシマザクラの古里でもあり、赤穂浪士の遺児たちが流刑された場所でもあります。
そしてついに七日目、茨城県N川のハーバーに入港。回航は終了しました。 
 ここで上陸してからが実に「ミステリアス」でした。なんと常磐線のM駅でジール「インフラツーリズム」売り物のひとつ=謎のイグアナクレーンの秘密が暴かれたのです。 
 クルーズ解説員の誰に聞いても見たことはないという「レール運搬車」がこんな所に存在したのです。 
 羽田から飛行機で奄美大島に渡り、そこから1週間の苦難の航海の末やっとたどり着いた茨城県で目にした車体に書かれた文字、それは予想だにしなかった「越中島」
 byーO

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2018年10月10日 (水)

『続ミステリアス航海記』

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 ふつうの観光旅行と違って、回航は(小型船の国内回航は、夜は走りません)明るいうちに進めるだけ進み、目的地に一日でも早く到達しようと心がけます。
逆にいうと、悪天候で距離を稼げなければ、航海日数は増えていきます。
 今回、正面から体当たりしてくる波に悩まされ(四国M岬M港には二日間も足留め)五日目ようやく紀伊半島にたどり着きました。
その日はそこまでで、先に進むことを断念。昼、和歌山県K港に逃げ込みました。
 上陸して驚いたのは(画像)停泊しているマグロ漁船の妙に色っぽい煙突でした。
銭湯に行ったら本物の温泉に感激。
夜は、久しぶりに(船ではパンばかり)まともな食事をしました。港への帰り道、店名に引かれて「南紀書房」という本屋に入りました。
理数系ではなく文系船乗りの私は、けっきょく閉店時間まで店長と話し込んでしまいました。
 航海は想像どおりにいきません。ミステリアスです。だからこそ、思いもよらずK港に入れたのはラッキーでした。
南紀といえば、江戸時代の外国人宣教師も目撃し、本国にレポートを送った「補陀落渡海」のおこなわれた世界です。(足摺岬・室戸岬などにも記録があります) 同じ島国でありながら、イギリスは水平線の向こうに富を求めていました。
しかし、日本人の憧れていたものは観音浄土でした。
 補陀落渡海とは、現世の終焉を約されていると同時に宗教的な生をも亦約束されている=入水行です。
 では次回、続々ミステリアス航海記をお楽しみに。
 ところで、神田川クルーズの日本橋で(日没以降、しかも船からでしか見られませんが)けったいな行動をする鳩の集団が目撃されています。
何故そのようなミステリアスな現象が起きるのか、まったく謎です。
一度それをご覧になってください。奇怪ですが笑えます。
byーO

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