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2018年10月17日 (水)

続々ミステリアス航海記

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まず、宣教師について。
1612年(将軍秀忠の時代)キリシタン禁止令が出されます。
しかしその後にも、大御所家康は、仙台藩の支倉常長使節団の遣欧を許し、伊達正宗が宣教師の派遣を要請していたことを黙認しています。
カトリック国と断交するのは、家光の時代(スペインとは1624年・ポルトガルとは1639年)になってからのことです。
 かたや「熊野年代記」によると1722年(吉宗の時代)にも補陀落渡海があったと記されています。
しかし、江戸時代の渡海には半強制的なものもあったようです。 
 宣教師の記録として、紹介するとなると(江戸時代以前の)ルイス・フロイスの書簡が上質です。
1564年12月28日、京へ上る途中のフロイスは、伊予の堀江の港に着き、数日前に渡海がおこなわれたことを聞いた、とあります。
この渡海は(観音浄土ではなく)西方の「阿弥陀浄土」を目指していました。 
 さて、私たちは(西方ではなく)東方への航海を続行しました。
六日目、O島(つまり東京都)に到達しました。
ここはオオシマザクラの古里でもあり、赤穂浪士の遺児たちが流刑された場所でもあります。
そしてついに七日目、茨城県N川のハーバーに入港。回航は終了しました。 
 ここで上陸してからが実に「ミステリアス」でした。なんと常磐線のM駅でジール「インフラツーリズム」売り物のひとつ=謎のイグアナクレーンの秘密が暴かれたのです。 
 クルーズ解説員の誰に聞いても見たことはないという「レール運搬車」がこんな所に存在したのです。 
 羽田から飛行機で奄美大島に渡り、そこから1週間の苦難の航海の末やっとたどり着いた茨城県で目にした車体に書かれた文字、それは予想だにしなかった「越中島」
 byーO

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